「ニーハオ、おいしい東京日和。」第1巻を読んで、フィクションと現実の関係性について色々考えたり
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先日のトークイベント「ZON×中村正人「東京の片隅から、隣国を想う」を配信で見た。ZON氏の「ニーハオ、おいしい東京日和。」は前からインターネットで読んでいて最近のお気に入りの漫画だからトークイベントがとても楽しみだった。
第1巻が出たから改めて読んでみたけど、やはり素敵な漫画だと思う。中国出身東京在住の主人公がいろんな料理を食べる物語で、移民してきた人々の話も食べ物とともに出る。自分は背景が少し似ているところもあるから共感できるところが多くて、主人公の散歩で知る料理もおいしそうで、知らない東京を垣間見できて好き。
まだ読んでないなら第1話がトーチwebで読めるよ!

漫画を読んだらトークイベントで出てきた質問がまた頭に浮かんだからちょっと自分の気持ちを書こうと思った。
トークイベントで「ニーハオ、おいしい東京日和。」に出てくる人物がフィクションであることに驚いている方がいたみたいだけど、むしろ驚いている方に驚いているし、なぜこんな質問が聞かれたかもちょっと気になる。
自分が「ニーハオ、おいしい東京日和。」が好きな理由の一つは、話がリアルっぽく感じるところだけど、リアルっぽく感じるものはむしろ現実に少ないと思っている。
物語をあんまり作らない人からすると現実を書いたほうが簡単だとか思っちゃう人もいるかもしれないけど、現実をそのまま書くのってそもそも不可能なんだ。
自分の体験談を書くにしても、あくまで「自分」が体験したことについて書くしかない。「自分」が何を見たか、「自分」が何を聞いたか、「自分」が何を感じたか…
「でもそれって実際にあったことを書いてるだろう?」と思うかもしれないけど、そうじゃないんだよね。客観的に何かを体験するのは不可能だから。人間というのは自分の感覚でしか世界を感じることができないから。
例えば、人気のグッズのリリース日で、棚にあった最後の箱を手に入れた人がいたとしたら、手に入れた人からすると自分がストーリーの主人公になるけど(最後の箱を手に入れたぞ!)、手に入れた人の真後ろに並んだ人からすると悪役かもしれない(あいつが最後の箱を取りやがった!)。実際に起きたことはかわらないけど、物語は変わる。
みんながフィクションから求めているリアルさは、ただただ事実っぽいことをつなげるより、「実際にこんなことが起きたらこのように感じるんだろうなー」と感じることだと思う。
それこそがフィクションの強さだと思っている。作家が描きたい物語を作り出すために読者に感じさせるんだ。主人公が何を見たか、何を聞いたか、何を感じたか…
体験談から入れるにしても、「この瞬間に感じた感覚」を結晶化して物語に入れることで、よりリアルさが出ると思っている。
で、なぜこんなブログを書こうと思ったかを説明すると、同じマイノリティの物語を書いているマイノリティとして言っておきたいけど、フィクションだからってこのようなことが世の中に起きてないってわけじゃないから。
「実際に苦労しているマイノリティの人の話を聞いてみた!」系の番組とかで辛い思いをしているマイノリティの話を聞いて消費するメディアが結構あるけど、そういう話をマイノリティから求めるのは違うと思う。
マイノリティの方が自分から話したい場合はもちろん話せばいいと思うけど、「そうでないといけない」「フィクションじゃなくてリアルな話を」とマジョリティが求めると感動ポルノ系になりかねないから!
なんていうか、このような「フィクションなのか」みたいな質問って、よくマジョリティでない作家のトークで聞くけど、マジョリティじゃない人の苦労を実際に聞きたい~みたいに感じてしまう。で、実際に起きたにしても話したくない人もいる。自分の作品だから描けたけど、口にするのがつらい人もいるから。
まあ、何が言いたいっていうと、「この作品の中の苦労は実際にあった苦労なのか~」みたいな質問をしたいって思ったら、どうして質問がしたいかを自分に問い詰めてから聞いてみてね、ってお願いしたいだけ。